忍者ブログ
哲学 philosophy
涅槃は理解するものでないとすれば、どう取り扱えばいいのか。
それは正知の上で現れてくるものであると、仮止めとして概念で把握しておくくらいしかできない。
こうした概念は登り切る前のはしごであり、渡り切る前の筏である。

涅槃(Nirvana)・涅槃寂静
PR
ただ環境にやらされているだけであり「やらされて、それをこなして、それで何になるのか」という虚しさは延々と続く。
人間性と道徳
動物と人間を対比した時に、人間の傲慢さが出てきますが、動物よりも害のある人間はたくさんいます。露骨に害を与えるような人だけでなく、動物に対して「人間の感情優先」という考え方をも持っている人たちもいます。
しかし、所有・処分権は人と人との関係、他人と自分との関係であり、その生命体と自分たちとの関係ではありません。人間性と道徳 豊かな人間性や社会性。学問は人間性を向上させるためにあると捉える教育。道徳形而上学の基礎づけ。道徳性を備えている限りの人間性は、それのみが尊厳を持つものである。
諸行無常は哲学的な考察の元の理であり、法則の事を意味するが、時に情緒的に語られることがある。とりわけ対人関係の話題や社会的な流れについて諸行無常という言葉が使われる。
しかし、諸行無常の示すところは、そうしたマクロ目線の流れの変化だけでなく瞬間的なものを意味し、時間の存在すらも否定するようなものである。
諸行無常の諸行は「すべてのもの」とされがちだが、物ではなく、意識や心の形成作用のことを意味する。諸行無常
解明解決という視点
問題を解明して解決するということは一般的な手法ですが、ある危険性を孕んでいるということについてはあまり触れられません。問題だとされることが、本当に問題なのか、ということを考えてみればいいでしょう。確かにある側面では問題なのかもしれませんが、それは「ある側面」という相対的尺度を採用したから起こっています。それならば言いたい放題です。正しさは、勝手な基準で勝手に決めていることであり、まさに自前の相対的尺度そのものです。どこにも絶対性はありません。ただの相手のこだわりです。しかしこの相手のこだわりを採用してしまえば、自分が正しくない人になってしまいます。認めなければ問題にもならないことを、自分で問題だと思ってしまいます。これは、わかりやすい例ですが、同じような構図は社会にたくさん溢れています。ある問題と、問題の解決策を提示されると、前提となる問題やそのフィールド自体の属性を無意識に肯定してしまうということです。

解明解決策自体は、確かに誰かの「あるフィールド」での話です。しかし、本当に問題はそこなのか、どんどん問題を単純化していきましょう。相手のフィールドで戦おうとするから、負けを恐れて苦しむという事があるということです。

どうして相手に勝たねばならないのでしょうか。一体何の戦いでしょうか?

それは自尊心獲得ゲームです。

解明解決 意識の分野の解消法 抵抗感の破壊

すべて形成されたものは苦しみであるというのが一切行苦であり、一切皆苦と表現すると、意味がわからなくなる。また、一切皆苦・一切行苦の苦は「ドゥッカ」であり、日本語の苦とはニュアンスが異なるので注意が必要である。普段使用する漢字の意味やイメージを元に「苦」を捉え、単純に「苦しみ」と捉えてしまうと変なふうにとらえてしまう。

一切皆苦・一切行苦
諸法無我はパーリ語でsabbe dhammā anattāと表現される。このうち、諸法無我の法はダンマであり、それは概ね法則、理、真理を意味する。すぐに再現可能で確認可能な法則のことが真理であり、諸法無我の法はそうした「真理」を意味する。
諸法無我は複数の意味を示しており、理解しがたい。

諸法無我とアートマン
諸行無常とは、一切の形成されたものは固定的ではないという意味であり、その諸行の行は、形成作用と言う意味を持つ。よって、万物とかすべての物事という表現は間違いとは言わないが、定義が不足している。
常に生滅を繰り返す因と縁によって生ずるすべての現象を捉えること、心で印象を得るということを見逃してはならない。

諸行無常(仏教)
修辞学(レトリック)は、古代アテナイの時代からある弁論・叙述の技術に関する学問で思想感情を雄弁にうまく伝達するための原理を研究する学問である。雄弁術、弁論術、説得術とも呼ばれることがある。こうした修辞技法は分野間を横断して利用されていった。
修辞学と詭弁と生兵法 アリストテレスによる弁論術(修辞学)では、以下の三種類が挙げられている。 「話し手の人柄にかかっている説得」 「聞き手の状態・感情に訴える説得」 「言論そのものにかかっている説得」
五蘊盛苦・五取蘊苦の五蘊(ごうん)とは、色受想行識。それぞれ色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊である。
五蘊盛苦・五取蘊苦の盛、取は、執著を示す。

四苦八苦のうち最も哲学的なのは五蘊盛苦・五取蘊苦
「老いる苦しみ」は、老いていくことを想起する苦しみであり、老いそのものよりも若さへのおごり、若き日への執著。老苦とよばれる。

老いていくことを想起する苦しみ
五蘊盛苦・五取蘊苦と五蘊苦は異なる。五蘊に対する執著がドゥッカを生み出すというのが五蘊盛苦・五取蘊苦であり、五蘊苦は五蘊から生じる単なる刺激としての苦しみである。

四苦八苦のうち最も哲学的なのは五蘊盛苦・五取蘊苦
言葉の印象にとらわれると、本質的な思考が阻害される。
厳密な定義を持ち出すほど、思考が阻害されることがある。
抽象的な一種のラベルとして捉えておくべきである。
色受想行識の内の行と諸行無常の関係性。
仏教において、色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊は五蘊と表現され、経典においても色受想行識、五蘊盛苦としてよく出てくる。これは体感覚・触覚・味覚・嗅覚・視覚・聴覚などを発端とし、現象をこころが受け取るプロセスについて表現している。諸行無常の「諸行」の「行」とは何を示すのかという解釈のヒントになる部分になる。
諸行無常(仏教)
四苦八苦という苦しみの分類にしても哲学としての領域となる。
単に苦しみの分類をしたというだけでなく、苦しみの生起と消滅、そして苦しみの原因を細かなところまで考察して哲学的に捉えているものが四苦八苦の概念である。
抽象度の高い哲学の主題
哲学の主題は抽象度が高い概念となる。
主題として、存在、因果、真理、本質、同一性、普遍性、観念、概念、行為、経験、世界、空間、時間、歴史、現象、数学的命題、論理、言語、知識、人間一般、理性、自由、意識、精神、自我など。倫理学的には、正義、善悪などがある。
合意のために抽象的なことを具象化する必要が生じる場合があるが、そのために元の意からは外れてしまうことが起こる。そして合意のために、観念がぐらつく。よって、内側の思考においては、合意を除外しつつ理性を保つ必要がある。
曖昧に抽象的なまま語ると妄想に見える。だからこそ語る時は具象化が必要になる。
(具象とは具体。はっきりした姿・形を備えていること)
ただ、具象化すれば意味が変わってしまうことがあり、限定が入る。
その影響で観念自体を変化させないということが重要となる。

合意と具象
混乱により、より抽象度の高い見解が生まれる。
ある観念や概念を知ると既存の観念や概念のぐらつきから混乱が起こり、それらを統合した視点が生じる。既存の観念に対し、その他の可能性もある程度の正しさがあることに気づくとまずは混乱が起こり、それらの共通項たる視点が生まれる。
そして、より抽象度の高い見解が生まれる。
偏見は不可知領域や二律背反するような命題に対する一解釈にしか過ぎず、自己都合からその他の解釈可能性を感情的に排除しているだけ、という場合がほとんどである。
意識は、不快感から混乱を避けようとするが、こうした混乱は視点の高さを生むものであり、歓迎すべきものである場合が多い。

偏見を解く過程としての混乱
涅槃寂静と解脱は異なるものである。悟りの智慧の完成であり、脱するというものは印象にしか過ぎない。

涅槃(Nirvana)・涅槃寂静
哲学の中心は抽象度の高い本質の追求にある。

一般にある命令 ―の良し悪しは ―それが厳密に実行されたとして、その命令の中で約束された結果が生じるか、生じないかによって証明される。 道徳的な命令の場合は― ほかならぬ結果が見通されえないものであり、あるいは解釈しうるものであり、曖昧である―

深いところにある因果関係は、認識できないような領域にあるのかもしれません。それをもし捉えられたとしても、人に説明するのは難しいはずというか不可能なはず。

命令の証明
実存主義(じつぞんしゅぎ)は、普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を主張、もしくは優越となっている現実の世界を肯定してそれとのかかわりについて考察する思想。本質存在に対する現実存在の優位を説く思想。
物が物として存在するためには時間が必要になります。
すごく簡単な話で、認識するためには時間が必要だからです。認識がなければ物は存在していようが、存在していないのと同じです。五感のうちのいずれかに認識されなければ、無いのと同じです。時間は一種の解釈です。人間と独立して何か次元として存在するものではありません。これは「客観的に、また社会的に考える」という歪曲された事実解釈を度外視すればすぐにわかります。
唯物論はあくまで観念論の対義語としての位置づけにあるものであり、神的なものを否定するというものではない。 日本では神や霊魂の否定の意味かのように捉えている愚者がいる。 そうした意味で唯物論という概念があるわけではない。 根本的に唯物論には欠陥があり、ココロというものをどう取り扱っているのかを説明できていないという根本問題があるというだけのだ。
プロフィール
HN:
philosophy
性別:
非公開
ひとこと
こちらはテスト用です。 メインサイトへどうぞ 哲学や心理学系など
哲学
哲学、倫理、道徳、心理
Dive into Myself
忍者ブログ [PR]
"philosophy" WROTE ALL ARTICLES.
PRODUCED BY SHINOBI.JP @ SAMURAI FACTORY INC.

哲学

dive into myself

曙光(ニーチェ)

曙光(ニーチェ)