哲学 philosophy
涅槃寂静は頭で理解するものではないが、哲学的思索を繰り広げることはできる。
何が涅槃寂静ではないか、何が涅槃ではないかということを思考上で理解することはできる。
哲学的に検討するだけでも涅槃の解釈として「死ねば涅槃に入る」ということが誤謬であることが理解できる。
ただ、涅槃寂静を一切の煩悩が消え去った「静かな安らぎの境地」という定義から検討するよりも、哲学的直感によって気づくというのが本来のプロセスである。
何が涅槃寂静ではないか、何が涅槃ではないかということを思考上で理解することはできる。
哲学的に検討するだけでも涅槃の解釈として「死ねば涅槃に入る」ということが誤謬であることが理解できる。
ただ、涅槃寂静を一切の煩悩が消え去った「静かな安らぎの境地」という定義から検討するよりも、哲学的直感によって気づくというのが本来のプロセスである。
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利他主義は、利己主義の対義語で自己の利益よりも、他者の利益を優先するという主義。
利他主義の原因
利己主義と比較して利他主義は美しく見えます、なぜなら、利己主義において蔑ろにされるのは利他主義者以外の人たちになります。一方で、利他主義であれば利を与えてもらえる対象に自分が含まれる可能性があるからです。
利己主義とはその字のごとく。自己の利益を最優先し、他者の利益を軽視したり無視したりする考え方であり、利己主義はその対義概念となります。利己主義は、相手の利益を優先するという形になりますが、相手の利益を通じて有形無形を問わず自分の利益に繋がるという構造を持っているので、間接的になっているだけという構造もあります。
「利他主義」の原因ということですが、利他主義はもちろん利己主義の対義語としての概念を持っています。利他主義と、利他主義の対義語としてのは利己主義について
利他主義の原因
利己主義と比較して利他主義は美しく見えます、なぜなら、利己主義において蔑ろにされるのは利他主義者以外の人たちになります。一方で、利他主義であれば利を与えてもらえる対象に自分が含まれる可能性があるからです。
利己主義とはその字のごとく。自己の利益を最優先し、他者の利益を軽視したり無視したりする考え方であり、利己主義はその対義概念となります。利己主義は、相手の利益を優先するという形になりますが、相手の利益を通じて有形無形を問わず自分の利益に繋がるという構造を持っているので、間接的になっているだけという構造もあります。
あらゆる苦しみである四苦八苦のうち、最も哲学的なのは五蘊盛苦・五取蘊苦である。五蘊盛苦とは、「五種の執著の素因は苦しみをもたらす」「五種の素因への執著が苦しみを生じさせる」という意味。
五蘊(ごうん)とは、色受想行識であり、それぞれ色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊と呼ばれる。。この心が受け取る世界はこの五種で構成されており、これら五蘊は世界を作る素因であり構成要素。 五蘊盛苦の「盛」・五取蘊苦「取」とは、執著を意味する。よって、五取蘊は5つの構成要素に対する執著という意味になる。
五蘊盛苦(五盛陰苦/五取蘊苦)五種の執著の素因は苦しみをもたらす
六根「眼・耳・鼻・舌・身・意(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・意識)」の全てに五蘊が対応している。五蘊はこの心が受け取る世界を構成する要素。それぞれに「こうあって欲しい」という望みがあればそれが執著となる。そして、渇望を生み出し、苦が生じる。
五蘊に対して、思い通りにならないという不満足に対する執著を持ち、そして、執著により思い通りにならないという苦しみを得る。これが五蘊盛苦・五取蘊苦である。
この五蘊盛苦・五取蘊苦は四苦八苦の最後に出てくる。
苦しみや苦痛 四苦八苦(しくはっく)
五蘊(ごうん)とは、色受想行識であり、それぞれ色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊と呼ばれる。。この心が受け取る世界はこの五種で構成されており、これら五蘊は世界を作る素因であり構成要素。 五蘊盛苦の「盛」・五取蘊苦「取」とは、執著を意味する。よって、五取蘊は5つの構成要素に対する執著という意味になる。
五蘊盛苦(五盛陰苦/五取蘊苦)五種の執著の素因は苦しみをもたらす
六根「眼・耳・鼻・舌・身・意(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・意識)」の全てに五蘊が対応している。五蘊はこの心が受け取る世界を構成する要素。それぞれに「こうあって欲しい」という望みがあればそれが執著となる。そして、渇望を生み出し、苦が生じる。
五蘊に対して、思い通りにならないという不満足に対する執著を持ち、そして、執著により思い通りにならないという苦しみを得る。これが五蘊盛苦・五取蘊苦である。
この五蘊盛苦・五取蘊苦は四苦八苦の最後に出てくる。
苦しみや苦痛 四苦八苦(しくはっく)
一切皆苦(いっさいかいく)は、本来、一切行苦(いっさいぎょうく)と表現され、全ての形成されたものは苦しみであるという意味を持つ。パーリ語から考えると、諸行無常の諸行と一切行苦の一切行は同一の表現となっている。一切行苦とは、すべての形成されたものは苦しみであり、思い通りにならない不満や不完全としての苦しみを指す。色は苦なり、受想行識も苦なりと経典で表現される。
一切行苦(一切皆苦)
一切皆苦は一切行苦が正式な表現である。
一切行苦と諸行無常の「行」
行とは形成されたものを意味し、それは常に変化するとするのが諸行無常であり、それは同時に苦しみであるというのが一切行苦である。常に変化するその「形成されたもの」は、客観的な物理現象だけでなく、それを認識する心の状態も含まれる。それは気分から、物理的な物を視覚的に捉えるということまで全てを意味する。一切皆苦・一切行苦の本意
宗教化した仏教においては、そうした哲学的な捉え方はされていない。死後の極楽などを苦の世界としたくはないため、この世を一切皆苦ということにしたいという意図が見える。自分の思い通りにならないという精神的な苦しみの原因が自我にあることを指すのが一切皆苦・一切行苦の本意である。一切行苦(一切皆苦)
一切皆苦は一切行苦が正式な表現である。
体の健康を維持するための働きを、恒常性維持(ホメオスタシス)、恒常性維持機能といいます。
「自分を変えるには」と、明確な目標・目標の細分化・速やかに行動といったことをよく言われます。
しかしすぐに元の自分に戻ってしまうのは、恒常性維持機能の働きによる反応です。
その内容というものは、「ダメな自分を変えたいのに、変えられないは恒常性維持機能が働いているからだ」というものです。
自分を守ろうとするような機能である恒常性維持機能が原因で、「自分はなんてダメなんだ」と自責のストレスを感じるというのは、まさに本末転倒です。
心理的な恒常性維持機能が働くというのはもっともです。
心理的な恒常性維持機能とは、慣れ親しんだ生活スタイルから脱することに抵抗が生まれて、変化が起こりかけた時に元の慣れ親しんだ生活に戻ろうとする働きです。
心理的恒常性維持機能(ホメオスタシス)
「自分を変えるには」と、明確な目標・目標の細分化・速やかに行動といったことをよく言われます。
しかしすぐに元の自分に戻ってしまうのは、恒常性維持機能の働きによる反応です。
心理的恒常性維持機能
ちらほらこの恒常性維持機能が心理学的に扱われ、自己啓発のような情報が出回っていますが、ほとんどの情報は的を得ていません。その内容というものは、「ダメな自分を変えたいのに、変えられないは恒常性維持機能が働いているからだ」というものです。
自分を守ろうとするような機能である恒常性維持機能が原因で、「自分はなんてダメなんだ」と自責のストレスを感じるというのは、まさに本末転倒です。
心理的な恒常性維持機能が働くというのはもっともです。
心理的な恒常性維持機能とは、慣れ親しんだ生活スタイルから脱することに抵抗が生まれて、変化が起こりかけた時に元の慣れ親しんだ生活に戻ろうとする働きです。
心理的恒常性維持機能(ホメオスタシス)
涅槃は理解するものでないとすれば、どう取り扱えばいいのか。
それは正知の上で現れてくるものであると、仮止めとして概念で把握しておくくらいしかできない。
こうした概念は登り切る前のはしごであり、渡り切る前の筏である。
涅槃(Nirvana)・涅槃寂静
それは正知の上で現れてくるものであると、仮止めとして概念で把握しておくくらいしかできない。
こうした概念は登り切る前のはしごであり、渡り切る前の筏である。
涅槃(Nirvana)・涅槃寂静
ただ環境にやらされているだけであり「やらされて、それをこなして、それで何になるのか」という虚しさは延々と続く。
動物と人間を対比した時に、人間の傲慢さが出てきますが、動物よりも害のある人間はたくさんいます。露骨に害を与えるような人だけでなく、動物に対して「人間の感情優先」という考え方をも持っている人たちもいます。しかし、所有・処分権は人と人との関係、他人と自分との関係であり、その生命体と自分たちとの関係ではありません。人間性と道徳 豊かな人間性や社会性。学問は人間性を向上させるためにあると捉える教育。道徳形而上学の基礎づけ。道徳性を備えている限りの人間性は、それのみが尊厳を持つものである。
相手が動物であれば、結果的に現象として「歯軋り」をしたり「うたた寝」をします。できれば誰か目の前にいるひとつの存在だけでなく、一気にすべての生き物に、というのがいいでしょう。そのようなことで、スッタニパータの蛇の章にある「慈しみ」が、わかりやすいでしょう。
中村 元訳「ブッダのことば スッタニパータ」岩波文庫 蛇の章 八
スッタニパータ 蛇の章 「慈しみ」 仏教諸聖典のうちでも、スッタニパータは最も古いもののひとつ。 悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
諸行無常は哲学的な考察の元の理であり、法則の事を意味するが、時に情緒的に語られることがある。とりわけ対人関係の話題や社会的な流れについて諸行無常という言葉が使われる。
しかし、諸行無常の示すところは、そうしたマクロ目線の流れの変化だけでなく瞬間的なものを意味し、時間の存在すらも否定するようなものである。
諸行無常の諸行は「すべてのもの」とされがちだが、物ではなく、意識や心の形成作用のことを意味する。諸行無常
しかし、諸行無常の示すところは、そうしたマクロ目線の流れの変化だけでなく瞬間的なものを意味し、時間の存在すらも否定するようなものである。
諸行無常の諸行は「すべてのもの」とされがちだが、物ではなく、意識や心の形成作用のことを意味する。諸行無常
解明解決という視点
問題を解明して解決するということは一般的な手法ですが、ある危険性を孕んでいるということについてはあまり触れられません。問題だとされることが、本当に問題なのか、ということを考えてみればいいでしょう。確かにある側面では問題なのかもしれませんが、それは「ある側面」という相対的尺度を採用したから起こっています。それならば言いたい放題です。正しさは、勝手な基準で勝手に決めていることであり、まさに自前の相対的尺度そのものです。どこにも絶対性はありません。ただの相手のこだわりです。しかしこの相手のこだわりを採用してしまえば、自分が正しくない人になってしまいます。認めなければ問題にもならないことを、自分で問題だと思ってしまいます。これは、わかりやすい例ですが、同じような構図は社会にたくさん溢れています。ある問題と、問題の解決策を提示されると、前提となる問題やそのフィールド自体の属性を無意識に肯定してしまうということです。
解明解決策自体は、確かに誰かの「あるフィールド」での話です。しかし、本当に問題はそこなのか、どんどん問題を単純化していきましょう。相手のフィールドで戦おうとするから、負けを恐れて苦しむという事があるということです。
どうして相手に勝たねばならないのでしょうか。一体何の戦いでしょうか?
それは自尊心獲得ゲームです。
解明解決 意識の分野の解消法 抵抗感の破壊
ドグラ・マグラ(1935年)以外の日本三大奇書は、小栗虫太郎氏による「黒死館殺人事件」(1935年)、中井英夫(塔晶夫)氏による「虚無への供物」。
消極的な心の声は生存本能からの恐怖心により、安全を保つためにやってくる。
心理学一覧
抜粋アフォーダンス理論
アフォーダンス理論とは、環境が動物に対して与える「意味」のことであり、動物と物の間に存在する行為についての関係性そのもの。
アンダーマイニング効果(過正当化効果)
アンダーマイニング効果(過正当化効果)は、内発的動機づけによる行為に対して、報酬を与えるなどの外発的動機づけを行った場合、やる気がなくなっていくという「やる気低減現象」。
エスカレータ効果
エスカレータ効果は違和感の一つ。止まっているエスカレータを降りるとき、足が重くなったような感覚をいう。
暗黙の強化
暗黙の強化とは、3人くらいでいる時に、誰かが自分以外の人を褒め出した時に、自分の自尊心が傷つけられた、つまり極端に言えば攻撃されたように感じ、自分以外の人を貶し始めたら、自分の評価が上がったように感じてしまう、「アイツ」の錯覚です。
すべて形成されたものは苦しみであるというのが一切行苦であり、一切皆苦と表現すると、意味がわからなくなる。また、一切皆苦・一切行苦の苦は「ドゥッカ」であり、日本語の苦とはニュアンスが異なるので注意が必要である。普段使用する漢字の意味やイメージを元に「苦」を捉え、単純に「苦しみ」と捉えてしまうと変なふうにとらえてしまう。
一切皆苦・一切行苦
一切皆苦・一切行苦
諸法無我はパーリ語でsabbe dhammā anattāと表現される。このうち、諸法無我の法はダンマであり、それは概ね法則、理、真理を意味する。すぐに再現可能で確認可能な法則のことが真理であり、諸法無我の法はそうした「真理」を意味する。
諸法無我は複数の意味を示しており、理解しがたい。
諸法無我とアートマン
諸法無我は複数の意味を示しており、理解しがたい。
諸法無我とアートマン
諸行無常とは、一切の形成されたものは固定的ではないという意味であり、その諸行の行は、形成作用と言う意味を持つ。よって、万物とかすべての物事という表現は間違いとは言わないが、定義が不足している。
常に生滅を繰り返す因と縁によって生ずるすべての現象を捉えること、心で印象を得るということを見逃してはならない。
諸行無常(仏教)
常に生滅を繰り返す因と縁によって生ずるすべての現象を捉えること、心で印象を得るということを見逃してはならない。
諸行無常(仏教)
修辞学(レトリック)は、古代アテナイの時代からある弁論・叙述の技術に関する学問で思想感情を雄弁にうまく伝達するための原理を研究する学問である。雄弁術、弁論術、説得術とも呼ばれることがある。こうした修辞技法は分野間を横断して利用されていった。
修辞学と詭弁と生兵法 アリストテレスによる弁論術(修辞学)では、以下の三種類が挙げられている。 「話し手の人柄にかかっている説得」 「聞き手の状態・感情に訴える説得」 「言論そのものにかかっている説得」
修辞学と詭弁と生兵法 アリストテレスによる弁論術(修辞学)では、以下の三種類が挙げられている。 「話し手の人柄にかかっている説得」 「聞き手の状態・感情に訴える説得」 「言論そのものにかかっている説得」
環境コントロールの結果であるかもしれない。そしてそれはマインドコントロールの一つの要素であることを忘れてはならない。また「望む場合はチェックを」から「望まない場合はチェックを」と表現を変えて数字の体裁を整えたところで、喜ぶのは役人か、役人のような人間だけである。 アフォリズム 1-10
五蘊盛苦・五取蘊苦と五蘊苦は異なる。五蘊に対する執著がドゥッカを生み出すというのが五蘊盛苦・五取蘊苦であり、五蘊苦は五蘊から生じる単なる刺激としての苦しみである。
四苦八苦のうち最も哲学的なのは五蘊盛苦・五取蘊苦
四苦八苦のうち最も哲学的なのは五蘊盛苦・五取蘊苦
言葉の印象にとらわれると、本質的な思考が阻害される。
厳密な定義を持ち出すほど、思考が阻害されることがある。
抽象的な一種のラベルとして捉えておくべきである。
厳密な定義を持ち出すほど、思考が阻害されることがある。
抽象的な一種のラベルとして捉えておくべきである。
ニーチェが得意とするアフォリズム(箴言)。 文学形式の一つであり、思考や観察の結果を簡潔に諧謔的に述べたもの。
アフォリズム(aphorism) なお、箴言とは狭義には旧約聖書中のものを指す場合があり、これは道徳上の格言や実践的教訓が記されている。
アフォリズム(aphorism) なお、箴言とは狭義には旧約聖書中のものを指す場合があり、これは道徳上の格言や実践的教訓が記されている。
プロフィール
HN:
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性別:
非公開
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