哲学 philosophy
「現在も未来も過去の延長だろう」というのが普通の感想ではあるが、本来因果律は過去に基づいて未来が決定されているのではなく、今の意識の向きが未来を作り、それが現在にやってくる。過去の延長に思えるという印象の構造を分解すると「今の意識の向きが過去に基づいているから」という感じになり、過去に基づいているにしても、「過去のどの部分に重要性をおいているか」という配置や順番も関係している。
「今の意識の向き」は瞬間で変化しているが、過去のどの部分に重要性をおいているか」という状態が狭い幅である程度固定化されています。
しかし、実は「今の意識の向き」は、本来そうしたものに依存していません。もっと柔軟に変えることができる。そしてそれは観察によって変化する。
「今の意識の向き」として、何を観察すればよいのか?
それは「自我では想像もできない最高の状態を観察する」というのが正解であり、構造上、裏を返せば「自我を手放せば自動的にそちらに向く」ということになる。
常に空である全宇宙・全可能性の中はいる。ただ、今の意識の向きによって絞り込みが行われ、「心がその状態をただ受け取っている」というような感じになっている。
常に空である全宇宙・全可能性の中はいる。ただ、今の意識の向きによって絞り込みが行われ、「心がその状態をただ受け取っている」というような感じになっている。
手放し対象となる自我とは「自分と関係しているものの集まり」であり、通常は、空である全宇宙・全可能性の中から「自分と関係しているもの」という絞り込みがなされている。そこから「自分と関係しているもの」を外し、空と統合すると、全宇宙、全可能性の中に「心」が移る。
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