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哲学 philosophy
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あいまいな蓋然性が絶対性を求める思考を混乱させる。蓋然性は確からしいかどうかを示すものになるため、社会における決定には使えるが、確実なものを求める哲学的思索においては混乱の原因となる。哲学的領域、哲学的問いと蓋然性のもつあいまいさは苛立ちすら生み出してしまう。瞬間ごとの現象として考えると厳密な意味での証拠は成立し得ない。社会的な領域では、蓋然性の問題が持ち出され、ある程度の確からしさで特に問題は起こらない。
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確実性の度合いの問題である蓋然性(がいぜんせい)とは、「確からしさ」という意味を持つ。「おそらくそうだろう」というような確実性の度合いのことを意味する。
物事や過去の出来事に関して、それが起こるのかどうかとか、事実であるかどうかという確実性の度合い。可能性は可能かどうかの性質であり、蓋然性は確からしいかどうかを示すものになる。「確実に示そうとしても示しえないので、ある程度確からしければ」という形で、哲学的に決着がつかないようなことでも、社会の中の取り決めで利用されている概念である。

蓋然性とあいまいさ

蓋然性は確実であることを示すものではない。いかに確実らしいかということの尺度であり、社会において示し得ないものを判断する際に出てくる概念である。
願望の定義と不足。「願ってその実現を望むこと」というのが一般的な願望の定義となるようだが、比較的ポジティブに「不足に気づくこと」が願望の本質的な定義である。
意識的に「望んでいる」ということは、今現在無いという認定であり、かつ、それが自分の幸福感にとって不足している対象だと考えていることになる。
つまり不足が願望の正体である。


願望とは何だろう!
自分がこだわりを持つものは、全て意識的なものか無意識的なものかを問わず記憶で作られています。いろいろな意図は無意識レベルで形成されています。遺伝子レベルを含めた情報の集合体が自我ということになりますが、表面的な意識だけでなく、この意識が気づかない部分にある記憶等々も含めていわるる「自分」ということになります。無意識の状態が同調によって周りに影響を与えるということがあります。

そうした無意識的動作や無意識的選択の習得の影響は凄まじく、とりわけ「誰からも指摘されず特に問題にならないこと」であればあるほど、幼少期に保護者や兄弟姉妹などから得た影響が残っていたりします。

意識的操作を超えたもの
悟りの境地としての涅槃(Nirvana)は解脱と表現されることがあるが、そう表現すると誤解を生みやすい。仏教においては煩悩を滅尽して悟りの智慧の完成の境地が涅槃であり「悟り」と呼ばれる。インド・ネパール地方の他のバラモン系の概念とは異なるので注意が必要である。
涅槃(Nirvana)・涅槃寂静
レトリック(修辞学)は、弁論術のようなものであるが、相手の質問の卑怯さなどを見抜くことができるようになるため、詭弁の基本を掴むことができる。
各論的に学んでいくことで「どのように卑怯なのか?」ということも理解できる。
しかしながら学ばなくても、相手の発言の構造を見抜こうとする姿勢さえあれば、自然と身につく分野でもある。

修辞学と詭弁と生兵法
今現在に集中すると起こる現象への解釈。幅を持った意識の集中ではなく一秒前でも一秒後でもない、今現在に意識を集中していくことで、客観的な時間ではなく、この心が受け取る現象のあり方が見えてくる。
現在過去未来という時間が語られる時、客観的な仮観の世界から解釈が起こっている。しかしながら厳密に捉えた場合、そうした時間の解釈はこの内側でしか起こっていない。
「今に集中する」という場合や「現在に集中する」という場合、第三者から見て確認できない領域で、現象をどう認知しているかということや、この心は受け取る働きのみであるという部分が見えてくる。
サマタでは分離であり同時に分別の機能である自我機能が低下していく。ヴィパッサナーで集中力が上がれば、そのうち普段想起するような雑念や体感は無くなり、生滅の繰り返し、諸行無常や諸法無我が理屈を超えて体感できるようになる。
「今」に集中することと今をスタートとすること
生兵法は大怪我のもとである。修辞学や詭弁のあり方から見れば、安易なツッコミのようなものがいかに生兵法であり、論理的卑怯さを含んでいるかがよくわかる。修辞学(レトリック)・雄弁術は、誰かを説得するための技術であり、論理や事実を中心とした説得だけが有効というわけではでなく詭弁や誤謬も技術として用いられる。

修辞学(レトリック)上の詭弁


定義を曖昧にしたまま、主張を作っている形になっていて定義付けや論証という手間を相手に任せているというようなものが多い。定義と要件と効果を把握せずに主張をつくる生兵法などがよくあり、修辞学的に見れば初歩にも満たない。詭弁にすら到達していないという場合も多い。

生兵法とレトリック

詭弁は、命題の証明に誤っている論理展開が用いられている推論である。説得を目的として論理展開されるが正しいと思わせるように仕向けた話し方であるが、そうした詭弁の域にも達しない幼稚な論理展開がよく見受けられる。論理的演繹すら破綻しているようなものである。
立証責任の転嫁の構造があるような物言いが多い。
仏教上の「老苦(ろうく)」つまり「老いる苦しみ」は、老いていくことを想起する苦しみであり、老いそのものよりも若さへのおごり、若き日への執著が老苦の中心概念である。
老苦の中には老化による体の不調というものも含まれつつも、過去の出来事、過去の自分の状態に対する執著、「思い通りにならない」という精神的執著のほうがその概念の根幹を示している。

「老苦」老いる苦しみ
涅槃寂静は頭で理解するものではないが、哲学的思索を繰り広げることはできる。
何が涅槃寂静ではないか、何が涅槃ではないかということを思考上で理解することはできる。
哲学的に検討するだけでも涅槃の解釈として「死ねば涅槃に入る」ということが誤謬であることが理解できる。
ただ、涅槃寂静を一切の煩悩が消え去った「静かな安らぎの境地」という定義から検討するよりも、哲学的直感によって気づくというのが本来のプロセスである。
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