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哲学 philosophy
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形而上学的パッケージプラン

目に見えない領域のことについて、数ある可能性の中から、有名な書物を用いて確定させていくのが、世の宗教ではないでしょうか。「考えても仕方ないよ」ということで、「まあこういうことだから」という感じで、考えてしまう思考の部分を落ち着ける作用があります。方便という言葉があります。本当のことをいきなりいったところで、理解できないから、仮のたとえでひとまず落ち着けるというやり方です。本当はどうでもいいことについて、「どうでもよくない!」と躍起になっている人をひとまず落ち着かせるためのものです。その方便を本気で信じている人たちがいます。信じているということは、実は数パーセントは疑っていて、信じようとしている状態です。

形而上学的パッケージプラン
メタフィジック(metaphysics)
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非常にわかりにくいですが、五感の情報は外からの情報を感知する機能によって意図とは別に、感じてしまいます。じゃあ自分が考えているというのは外の現象に左右されていないのかというと、それもすべて外部の情報に依存してしまいます。記憶も癖も考え方のパターンも「何もないところからいきなり現れたもの」というのは考え難いと思います。教育や他とのコミュニケーションによらず、本能としてあらかじめ組み込まれていたとしても、自分が作り上げたものではありません。じゃあ「私の考え」とは、一体なんなのでしょうか。「私は考えている」というのも、もっと適切に言えば「考えさせられている」とも言えますし、「外からの情報によって自動発生している」とも言えます。かと言って、外の現象(―による情報)の出発点が「人間より上位の存在」というのは、妄想の域を出ません。

コギトエルゴスム

客観の誤謬

客観視する、というのはどう転んでも、外側で起こっていることを認識できる間口は「主観」しかありえないのに、それを自分以外のところで起こっている何かとして、「自分の中」でイメージしていることにほかならない。外で起こっていることを純粋に客観的に「存在している」と認めるのは「主観」でしかないはずで、「客観的」という属性を帯びた主観でしかないことは明白である。

時間と主観

なぜ、人を殺してはいけないか

なぜ、人をいじめてはいけないのか

という命題にまともに答えたのは大勢いるように見えて、確認できるのは実は数人しかいない。

まともに、というのは、それ以外にもたくさんこの疑問に答えようとしたものはいるが、一応の詳しい論証はしていても、前提が具体的すぎる、すなわち途中からしか考えていない、というものである。

なぜ人をいじめてはいけないのか

物質の作用で説明がつくのは途中までで、結局それを根拠に、「全ては物質の作用、状態、位置関係」などで「すべて」を説明することは不可能なことは明らかです。こういう研究で、薬を作ったりするのは大いに結構ですが、だからといって「この世の全て」を説明することはできません。結局感じているということはどういうことか、それを考えると、物質として観測は可能でも、主体は物質ではないのではないか、という疑問が残ります。物質であろうがなかろうが、今を認識している存在の中心のただ一点は、物質の流れを見ても観測できません。
唯物論のオチとして物質の作用で説明がつくのは途中までで、結局それを根拠に、「全ては物質の作用、状態、位置関係」などで「すべて」を説明することは不可能。
唯物論

パラドクスとは、こっちだと思っていたらあらあらあら、あっちでした、というパターンです。
ウィキからでも引っ張りましょうか。

正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉である。

官僚さんや会社の偉い人が陥りやすいパターンです。

官僚さんは自分たちが作れる省令や通達によって、国民、企業等をコントロールできる、と思っています。
そしてそのコントロールできる権限に酔いしれています。

企業の偉いさんは、自分の持つ人事権などで従業員をコントロールできます。
自分の嫌いな人を左遷することによって、自分の力に酔いしれています。

これは自分には力があり、自分の気分で周りをコントロールできる、ということに酔っていることになりますが、よく考えてください。

普通はニーチェのいうニヒリズムに関しての解説から入るところでしょうが、そんなことはしません。そんなことは検索すればすぐに出てきます。ニーチェがあ る意味でキリスト教に囚われていたように、現代の解説者はニーチェに囚われすぎています。ニヒリズムという言葉自体の発端がその辺なのである意味では仕方 ないことです。しかし、虚無というところから考えていきましょう。
ニヒリズム

ニヒリズム虚無主義とも。過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場。あらゆる存在に価値を認めない考え方。虚無主義。..物事の意義や目的といったものは存在しない、自分の存在を含めて全てが無価値とする。

ニヒリズム・虚無主義

ニヒリズム(虚無主義)は、あらゆる存在の客観的価値を否定し、宗教・道徳・権威を否定する考え方で、消極的ニヒリズムは、世捨て人のような立場であり、積極的ニヒリズムは、価値が無いのなら自分で価値を生み出そうという立場。
何をやっても何にも価値が無いのだから、消極的に受動的に生きていこうという発想、これが消極的ニヒリズム、受動的ニヒリズム。積極的ニヒリズムは、「絶対的で本質的な価値が無いなら、自分でその価値を作ってしまえ」というようなもの。虚無主義とは『物事の意義や目的は存在しない』とする考え方。意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値を認めないことで逆に、なんでもありだと考えるのが積極的ニヒリズムである。

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